映画情報社代表 映画情報社タイトル 「アビエイター」特集です。
レオナルド・デカプリオが演じるハワード・ヒューズの特集です。
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伝説の大富豪ハワード・ヒューズに迫ります



アビエイター アカデミー賞の呼び声の高い「アビエイター」。レオナルド・デカプリオが伝説の大富豪ハワード・ヒューズを演じていますが、このハワード・ヒューズという人は 映画産業に非常に深く関わった人なのです。 そこで今回の特集はこのハワード・ヒューズに迫ってみます。映画をごらんになる前に是非一読してくださいね。

監督 マーティン・スコセッシ
製作総指揮 レオナルド・ディカプリオ 、クリス・ブリガム 、リック・ヨーン 、リック・シュウォーツ 、コリン・コッター 、ハーヴェイ・ワインスタイン 、ボブ・ワインスタイン
脚本 ジョン・ローガン
音楽 ハワード・ショア
出演 レオナルド・ディカプリオ 、ケイト・ブランシェット 、ケイト・ベッキンセイル 、ジュード・ロウ 、アレック・ボールドウィン


ハワード・ヒューズ

ハワード・ヒューズ

1905年生-1976年没


主な作品

大混乱

地獄の天使

油田採掘のドリルの発明で巨万の富を得た父親と過保護な母親に溺愛されて裕福な幼年期を過ごす。 子供の頃は勉強よりもゴルフに夢中で、数学や機械にも興味を示し、自動車を購入してその仕組みを調べるため分解して組み立てたり、父親のスチーム・エンジンのパーツからオートバイを作るなど幼い頃からその天才的な才能を開花させていた。

はにかみ屋だったヒューズは学生生活になじめず、高校と大学を転々とするが、16歳の時には母親が、18歳の時には父親が急死。両親を亡くして孤独になったヒューズのもとには90万ドル近い遺産が転がり込んできた。

1925年、子供の頃の夢だった映画製作者になるためハリウッドにやってくる。

1926年初めてコメディ『Swell Hogan』製作するも一般に公開されることはなかった
1927年の『美人国二人行脚』は監督のルイス・マイルストンに第一回アカデミー監督賞をもたらした。

その年のアカデミー作品賞に輝いたのは航空映画『つばさつばさ
ハワード・ヒューズは『つばさ』を超える航空映画を作るべく 87機もの現物の戦闘機を購入して、本物のフライトを撮影するが、トラブル続きで完成までに莫大な制作費がかかり、ヒットしたものの、制作費を回収することは出来なかった。

1931年には再びマイルストン監督とヒット戯曲『フロント・ページ』を映画化。 この、トークの連続が魅力のコメディ『犯罪都市〜フロントページ〜』は大成功を収め、後に3度リメイクされた。

暗黒街の顔役

1932年には若手監督のハワード・ホークスと組んで『暗黒街の顔役』を発表。アル・カポネをモデルにしたギャングの壮絶な生き様を描いたこのギャング映画は大ヒットを記録。ギャング映画の古典となった。

1935年にヒューズ航空機制作会社を設立し、自ら開発したH-1で陸上機のスピード世界記録を更新。
1937年にはロサンゼルス−ニューアーク間を7時間28分で飛ぶ新記録樹立
1938年にはニューヨーク−パリ間を3日19時間17分で横断、チャールズ・リンドバーグの記録を破った。

1932年にはリンドバーグが設立した航空会社TWAを買収。
1939年にワシントン−ロサンゼルス間の飛行に成功。

1939年には再びホークスと組んでビリー・ザ・キッドを主人公に『ならず者』を製作、扇情的な内容で検閲機関との争いが長引き、公開まで3年を要した。

第二次世界大戦が勃発すると、750人を輸送できる飛行艇の製造に着手。「木のガチョウ」号と呼ばれたこの巨大な木製の飛行艇を完成。

1944年に監督のプレストン・スタージェスと共に「カリフォルニア映画社」を設立。既に引退していたサイレント映画スター、ハロルド・ロイドを起用した『The Sin of Harold Diddlebock』(47)と4人の監督が携わった『Vendetta』(50)を製作したが、共に興行的な失敗作となった。

1948年には経営危機に陥ったRKO社をハリウッド史上最高の880万ドルで買収。 ジョン・ウェインと組んでモンゴルの英雄ジンギスカンを描いたスペクタクル史劇『征服者』(56)や、航空ドラマ『ジェット・パイロット』(57)などの作品を制作。
しかし経営危機を脱することは出来ず、大幅な人員削減と過去のRKO作品を売りに出し、55年にはスタジオをジェネラル・テレラジオ社に売却した。

1966年、ヒューズは5億ドルでTWAを売却すると、ラスヴェガスのデザート・インを買収。最上階のスイートルームに居を構え、他のホテルや、ラジオ局、テレビ局などラスヴェガスの主要な施設を次々と買収していった。

ハワード・ヒューズ

1970年にはエアウエスト航空を買収
1972年には父親の会社「ヒューズ工作機械」を売却。

1976年に腎臓機能不全が原因で死亡。死亡時、彼の容姿は指紋を取らなければ判別できないほど変化していたと言われている
ヒューズの遺産は90億円にものぼり、400人もの人々が彼の遺産をめぐって争ったが、最終的に22人の従兄弟らに分配された。

ハリウッドではキャサリン・ヘプバーン、ジンジャー・ロジャース、オリビア・デ・ハビランド、エヴァ・ガードナーといった大物女優たちと交流し、特にキャサリン・ヘップバーンと真剣に付き合い、結婚まで考えていた。

1944年頃からヒューズは細菌を恐れるようになり、ホテル内でほとんどの時間を裸で椅子に座って過ごし、ラスベガスに移ると滅多にホテルから出ようとせず、乗用車には空気清浄機を取り付けていた。

また、ラスベガスでは不眠時に映画を見るためにテレビ局を買収。映画の途中で居眠りしてしまった時は、テレビ局に電話をかけて見逃したところから再放送させたこともあった。

今なお謎に包まれる大富豪ハワード・ヒューズは『メルビンとハワード』(80)、『タッカー』(88)、『ロケッティア』(91)などの映画で主人公に関わる重要なキャラクターとしてたびたび登場していますのでチェックしてみてください。

ハワード・ヒューズ
ハワード・ヒューズ