サザンオールスターズの「いとしのエリー」を唄ったことでも有名なアメリカソウル界の巨人レイ・チャールズの伝記映画が公開されます。
一人の偉人の伝記ということですが、単なる英雄物語にすることなく彼の成功と挫折を事実に基づいてまじめに描いた作品
ということで、アカデミー賞の期待もかかっています。
主演は「コラテラル」のタクシー運転手ジェイミー・フォックス。
レイ・チャールズ本人かと見間違うほどの見事な演技で観客を魅了してくれます
音楽ファンの方には彼のことは今更言うことなど無いのでしょうが、映画ファンにとってはそれほど造詣は深くないのではないでしょうか?
とはいえ、彼は映画音楽を担当した作品もあるし、彼自身が出演している映画もあります。
そこで今回は彼の紹介を中心に特集を組んでみました。
プロフィール
1930年9月23日生まれ
彼が生まれたときに付けられた名前は、レイ・チャールズ・ロビンソンであったが、ショービジネスに入ったときに、当時の有名なボクサー、シュガー・レイ・ロビンソンと紛らわしいので、レイ・チャールズに変更した。
5才の時に目が悪くなり、7才で、完全な盲目になってしまった。彼自身は、はっきりした診断は下されていないと云っていたが、多くの人は、原因は緑内障であろうと云っている。
彼の目が完全に盲目になる直前に、彼は一番下の弟が洗い桶の中でおぼれ死ぬのを見ていたのであった。
彼は、視聴覚障害者の為の、フロリダ州にあるセント・オーガスティン校に通ったが、その費用は慈善でまかなわれた。彼はそこで、点字だけでなく、楽譜やさまざまの楽器の演奏を学んだ。
1949年のデビュー曲「コンフェッション・ブルース」はR&Bチャートで2位になる、また、当時人気のあった ナット・キング・コール やチャールズ・ブラウンの影響を大きく受ける。
1954年に自分のバンドを結成し、独自のスタイルの音楽を作り上げ、「アイブ・ガット・ア・ウーマン」「ハレルヤ・アイ・ラブ・ハー・ソー」などがヒット。 ゴスペルのハーモニーやコール&レスポンスをブルースに取り入れ、さらに ポップス やジャズのフィーリングもミックスした全く独創的スタイルを確立する。
1959年、R&Bだけでなくポップスでもトップ10ヒットとなった「ホワット・アイド・セイ」以降、ソウル・ミュージック界のトップに君臨する。
また、レイは、自分の作ったソウルというスタイルにすら留まらず、ピアノをフィーチャーした インストゥルメンタル・ジャズや、60年にポップ・チャートの1位となったスタンダード曲「わが心のジョージア」のカヴァー。さらに カントリーを独自のスタイルで解釈した『モダン・サウンズ・イン・カントリー&ウエスタン・ミュージック』など、より幅広い音楽性を持った作品を発表していった。
1989年にはサザンオールスターズの「いとしのエリー」の英語カヴァー曲「エリー・マイ・ラヴ〜いとしのエリー」を発表し大ヒットを記録する。
常にジャンルを超えて新しいポピュラー・ミュージックを作り出していることにより今でも多くのミュージシャンに影響を与え続けている。
2004年6月11日永眠
出演映画作品
星空
ポール・ヘンリードがバートン・ウォールと共同でシナリオを書き、自ら監督した友情ドラマ。
撮影はボブ・ヒューク、音楽はスタンリー・ブラックとレイ・チャールズが担当した。
出演はレイ・チャールズ、ピエール・ビショップなど。
なお「星空のバラード」など十一曲をレイ・チャールズが歌う。
ピアノ・ブルース
スパイ・ハード
ブルース・ブラザース
黒い帽子にサングラス、黒いネクタイと黒いスーツのブルース兄弟のバンド結成と彼らを追うパトカー群、謎の女などの破天荒な行動を描くミュージカル・コメディ。
監督は「アニマル・ハウス」のジョン・ランディス
STARS/ウィ・アー・ザ・ワールド
映画主題歌担当作品
夜の大捜査線

アメリカ探偵作家クラブ賞の新人賞を受けたジョン・ボールの原作を、社会派のスターリング・シリファントが脚色し、ノーマン・ジュイソンが監督したサスペンス・ドラマ。
シドニー・ポワチエ主演
シンシナティ・キッド
リチャード・ジェサップの同名小説を、リング・ラードナー・ジュニアと、「博士の異常な愛情」のテリー・サザーンが共同で脚色、「スリルのすべて」のノーマン・ジュイソンが監督したギャンブラーのドラマ。
スティーブ・マックィーン主演
Ray/レイ公式サイト
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