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さようなら南街劇場
平成16年1月閉館になる映画発祥の地
また一つ、大阪の名映画館が消えます。

映画発祥の地 で、西日本最大の一枚物スクリーンを誇る南街劇場です。
かつて、「スターウォーズ」を一番前の席で見上げてみて、冒頭シーンのスターデストロイヤーの出現するシーンに圧倒され、 「未知との遭遇」のラストシーンのマザーシップが背後から現れるシーンで、思わず後ろを振り向いてしまったあの迫力のスクリーンが消える。

もうずいぶん前になりますが、大阪のシネラマ映画館OS劇場が取り壊されて、寂しい思いをした映画ファンも多いと思います。
確かに シネコンと違って、前に人が座ると画面が見にくいことは事実。でも、あの大スクリーンが消えるのはほんとに寂しいよ。

1888(明治21)年、この地に歌舞練場として南地演舞場が建設され、1897(明治30)年2月15日、フランスのリュミール兄弟製作による【シネマトグラフ】=映画が上映されました。
一般席10銭・特別席20銭の入場料にて日本で初めて興行が行われ、その後映画興行が日本中に広がることとなり、ここが映画興行発祥の地となっております。

OPEN以来50年間での動員数は、8300万人
年間最高記録は、昭和34年の295万人
現在の座席数:2474席(5館)
南街劇場の歴史と設備
歴史

1938(昭和13)年1月13日 南街映画劇場(定員668人、木造)建設
1953(昭和28)年12月18日 南街会館落成開場・南街劇場は、宝塚歌劇
・なんば東宝は、東宝映画「女心はひとすじに」
・南街ミュージックホールでは、ニュースと漫画を公演

1953(昭和28)年12月30日 南街劇場(座席数:1488席)にて日本初公開
シネマスコープ「聖衣」を西日本独占上映
1954(昭和29)年12月22日 南街文化劇場開場
1955(昭和30)年4月2日 南街ミュージックホール開場

1956(昭和31)年11月1日 南街文化劇場を南街スカラ座と改称
1958(昭和33)年4月2日 南街ミュージックホールを南街シネマにリニューアルOPEN
1959(昭和34)年12月18日 南街劇場70ミリ映画劇場として新装開場
1960(昭和35)年4月15日 南街劇場「ベン・ハー」を公開。
12月22日までの36週間の一興行で 513,251名を動員(一興行での動員記録)

1964(昭和39)年10月 南街劇場にて東京オリンピックのテレビ放映を スクリーンに拡大放映 1966(昭和41)年9月30日 南街文化劇場開場
1983(昭和58)年10月12日 南街劇場1階席と2階席を分割し、 1階を南街劇場、2階を南街東宝としてリニューアルOPEN

2003(平成15)年12月18日南街会館は、 50周年を迎えます。
その設備

南街劇場 816席

SCOPE 21.2m×10.6m

DOLBY SRD-EX dts SDDS

1階にあるのが最大劇場の「南街劇場」で西日本最大のスクリーンサイズを誇っているそうです。
確かにスクリーンは大きいのですが、座席配置が悪くほぼ平面のためあまり良くありません

ついでにご紹介。大阪に残る名映画館紹介
松竹座

なんと、もともとレビューを上演していただけあって、素晴らしい建物。現在は舞台中心になってしまいましたが、 あまりにも歴史的伝統のある建物なので、取り壊す話があったときに、大反対が起こりました。

ギリシャの神殿を思わせるエントランスに、まるでミュージアムのようなデザインの名建築です。

内部は真っ赤な絨毯が敷いてあって 二階席や桟敷席もあり、扉にも装飾が施され、本当に豪華そのものの造りです。 この雰囲気で映画を見るのはなんだかとても贅沢な気持ちになってしまいます。

ただ、さすがに歴史のある建物で音響効果はちょっと問題があるし、スクリーンに少し光が差しているようなこともあるのは仕方ないでしょうか?

千日前国際劇場

知る人ぞ知る、この映画館の売りは、ほんの数年前まで、映画が終わると舞台の袖から回転してエレクトーンがでてきて 休憩時間中、エレクトーン奏者による生演奏が行われた。観客はトイレにも行かずにその演奏を聴いて、もちろん最後には拍手。 そして、エレクトーン奏者が一礼してエレクトーンと一緒に幕間に消えるとゆっくりカーテンが開いて 映画が始まる。

この生演奏を聴きたくて、わざわざ、この劇場に足を運ぶ人もたくさんいました。いまや、エレクトーン奏者は いませんが、かつての栄華を思わせる雰囲気は十分残っています。

確かに劇場は古いし入れ替えもないので、前の回が終わるとタイミングを見て席を取らないといけない。しょっちゅう この映画館に通っていた私はここの掃除のおばさんに、うまく席を取るための秘密の入り口を教えてもらった。

そして最後に自分のノスタルジーにひたって

初めて映画館に連れて行ってもらったのはいつだっただろう。
父と母がほんの小さい私を連れてどこかの映画館に連れて行ってくれたのを 覚えているが、両親が見たい映画だったのだろう、私はただ、大きな女(だったと思う)の顔がスクリーンにどーんと映っていたのをかすかに覚えている。
いったいいくつだったのか。

それから何年もして、確か、小学校の時、父が突然、「映画連れて行ったろか」と声をかけてきた。
当時は、私の住む町にも三館の映画館があり、一つは東宝、 一つは東映系、もう一つは日活系であった。

連れて行ってもらったのは「ゴジラ・エビラ・モスラ・南海の大決闘」。なぜか「大魔神」と二本立てで、 行ったときは、「大魔神」の上映の途中で、ちょうど雪の降る崖のところで高田美和が大魔神に助けられるところだったと思う。
父親の自転車に乗せてもらって連れて行ってもらった。

今もその劇場は建物が残っていて、カラオケスタジオ(カラオケボックスではない) と有料の自転車置き場になっていて、私はそこにバイクを留めて電車で職場に通っている。いつも留めるたびに、父に連れられた日を思い出します。

それからは友達と何回か怪獣映画を見に行ったが、やがて映画館は無くなり、ちょっと見に行くにも、大阪市内まで 電車で行かなければならなくなり、高校生くらいまでは一人でいけなくなった。

高校時代は8ミリフィルムで映画を作っていたので、学生の映画ファンの常として、妙に理屈にこって 「映画作りの勉強のため」などとえらそうに、せっせと映画館通いを始めた。

昔は今と違って、入れ替えもないし、気に入った映画は何度でも見ることができた。
スターウォーズなど一日中 劇場に座っていたものです。入れ替えもないので、混んでいると下手をすると立ち見になるので、映画ファンにとっては そうした中で巧みにいすをとることが一種の特技のようになって、それでまた、話に花が咲いたものでした。

やがて、映画を作る仲間もちりぢりになって、今は見るだけの映画ファンとして今に至っています。

なんだか、南街劇場の特集より自分の映画ファン歴の紹介のようになってしまいましたが、つい書いていると 夢中になってしまいました。

最後になりますが、1月31日、2月1日に最後の記念上映で「ベン・ハー」や「七人の侍」「アラビアのロレンス」 などを上映します。もし、大阪に来れる方は是非どうぞ