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| シネマノスタルジーPART1 昭和33年日本映画産業全盛期を振り返る | |
昭和33年といえば日本の映画人口が年間10億人、一人あたり年間に映画を見る本数が平均10本
、いわば頂点の年でこの年以降映画人口は減り続け現代は平均1から2本くらいになっています。本年度最初の特集を組むに当たり、この映画産業全盛期の一年を私のコレクションであるキネマ旬報(映画雑誌としては もっとも権威有る雑誌)の昭和34年初頭のベストテン記念号に基づいて昭和33年当時を振り返ります。 | |
| キネマ旬報昭和33年(1958年)ベストテン | |
日本映画(監督名)
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外国映画(監督名)
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| 監督賞 木下恵介、ウイリアム・ワイラー |
脚本賞 橋本忍 |
| 男優賞 市川雷蔵 |
女優賞 田中絹代 |
当時の記事紹介◆邦画決算 裕次郎ブームで明けた昭和33年。この魅力有る俳優の人気がうなぎ登りに上昇していることはわかっていたが 日活の「嵐を呼ぶ男」というとくになんと言うことのない・・・・。正月興行を独占してしまったことは 業界もジャーナリズムも驚いてしまった。・・・・・・(岩崎昶) 日本映画下半期において一番の問題となったのは二本立て興業の再開であろう。これは昭和31年にもあったが 半年たたぬうちに競争の激化で・・・・・それが今度また再燃し戦いの幕が斬って落とされた。 ・・・・(飯田心美) ◆洋画決算 上半期におけるアメリカ映画とヨーロッパ映画の優劣を比較すると、もちろん数量はアメリカ映画が 圧倒的だが、品質は五分五分といったところである。・・・アメリカ映画は毎年のことながら西部劇が多く 月二本平均封切りされ・・・・・(双葉十三郎) アメリカの映画界はテレビ攻勢に即応するため質的な充実に力を注いできたと言われるが、そうした傾向が かなりはっきり・・・特にワイドスクリーンが本当に語り始めたといえる・・(岡俊雄) ![]() ◆製作業界 日本映画は1958年劇映画505本、前年比62本増となる。しかし、急に増えた反面質の低下を招いた。 1958年の業界は日本映画のカラーワイド化の著しい進展、二本立て興業による量産によって一応 活況を呈した。しかし一方このために製作費の膨張を招き、また驚異的なテレビ台数の普及という状態を 迎え深刻な影を帯びるに至った。ことに洋画は戦後空前といわれる不況に陥り興業館の転廃業も少なくなかった。 ・・・・・ |
1958年東京外国映画興行ベストテン
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1958年京阪神外国映画興行ベストテン
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| その他の記事 前回特集のダイナメーションの記事も載っています。 ![]() テレビの見物人は飛躍的に増大し、テレビセットの所有者の数も百万を突破した・・・・要するに テレビはラジオと並んで日本国民の生活に深く溶け入りいわば日常生活の必需品となろうとしている ・・・・・(佐々木基一「テレビは映写機か?」より) そのほか、テレビの普及に関する記事がたくさん載っています。 | |
| 特集の最後に この雑誌の記事を読んでいると、当時、テレビがまだ一般家庭に普及していない状況で、映画「トットチャンネル」 にも描かれているように、公園などの街頭で設置されたテレビをみんなで集まって見ていた時代が伺えます。 さらに、欧米も含めテレビが映画産業に影を落とし始めている様子がまざまざとうかがえます。 ベストテンを見てみると日本映画はそうそうたる監督の作品がずらりと並び、石原裕次郎がその存在感を高めてきている様子がうかがえ、 外国映画は今のようにアメリカ映画中心でなく ヨーロッパ映画も並んでいる様子もうかがえます。
反面、日本映画が質の低下が始まっている様子が 批評家の意見の中に見え始めると共に、アメリカ映画がテレビの普及を機会に世界を征するべく質の向上 をはかっている様もかいま見えます。 以上キネマ旬報1959年2月特別号より なお、今後、こうしたシネマノスタルジーを定期的に実施していきます。お楽しみに。 | |